ひかりふる/未来(からの妄想)

kalafina ひかりふる を、ClariS ルミナスともども、透析中のヘビーローテーションにしてる。
ルミナスが映画のOPにかぶさって、まどかが行ってしまった世界に集められた記憶 のように感じられて、云いようのない切なさを感じる。それへのアンサーのように、まどかがほむらを見守るような ひかりふる。
それぞれ、来る3作目の黙示なのだろう。(虚淵脚本なら、それは壮絶な叛逆 と予想できる)
一方で、カップリングの、Credens justiriamで唄った未来の歌詞で感じたことがある。

この歌は、まどか視点で、マミさんのそばにも居続ける と読んでもいいのだけど、マミさんが戦う理由 と捉えることもできる。何しろ、マミさんのテーマ曲なのだから。
そしたら、誰かと共に居たい という強い意志を感じることができる。

まどかの祈りが、全ての魔法少女を絶望で終わらせない ということなら、その実現方式は何だろう?
各々の魔法少女が、それぞれの祈りで切り開いた未来を見届ける ということは、当然に含まれる。さやかがそうだったように。
人として、魔法少女として力尽きた彼女たちに、更に未来を与えるには、まどかと同じ、概念としての存在にさせれば良いのではなかろうか? (あるいはネ申とか)
そうならば、魔法少女はそれぞれ、祈りと概念が対応付けられるはず。概念であれば、仮に複数の魔法少女の祈りが相反するものであっても、共存することができる。
さて、彼女たちが概念を考える際は、祈りの内容の他に、(因果の量などではなく)想像力の幅広さが大きく影響する と考え得る。そう、厨二病まっさかりの第二次成長期の少女が魔法少女に適する というQBの弁は、そこに理由があったのだ。
だとすると、5人の魔法少女の中で最も資質があるのは、マミさんではなかろうか?

それが叶ったとしたら、たとえば、
山本五十六が、沖田十三が、ゴル・ボドルザーが砲撃の命を発するとき、
「ティロ・フィナーレ!」と叫ぶのだ。

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